26年前の今日・・・
6月4日、天安門事件から26年だそうです。
今でも中国ではこの話はタブーだと聞いたことがあります。
※6月2日タクシーからこっそり撮った天安門広場
※6月2日夜、北京で演劇関係者が招待を受けて会食、北京人芸俳優の藍天野さんと政府の文化省の偉い方と演劇評論家の森氏と、
※北京人芸の有名な俳優の于是之さん
政治的なことは分からないし、それぞれのお国の事情もあるので敢えてそのことは話しませんが・・・・。
26年前の6月3日朝に北京を発ち、私達(中国シルクロードへ旅したメンバー)は、中国・新疆ウイグル自治区ウルムチに居ました。
たった一日違っていて北京に残っていたら事件に巻き込まれていたのです。
その当時の新疆ウイグル地区は中央・北京と遠く離れていて、私達は事件のことも知らされず、のんきな旅行をしました。中国には情報統制があるので、ニュースは歪曲されていました。
※6月3日ウルムチに着き、夕食を終え町を散歩、夜11時近いのにまだ明るい
ただ、日本側は大変心配してくれて、わざわざ旅行社の部長さんが、砂漠の町まで迎えに来てくれて、その時、部長さんが「皆さんを安全に日本に帰国していただくために、救出に参りました!」と話された言葉にことの重大さを感じました。
26年前の新疆ウイグル自治区のウルムチもオアシスの町々もウイグル人や元々そこに住んでいる少数民族の人達ばかりで、まだまだ漢民族(?)は極々少数派でした。
※6月4日ウルムチからホータンへ飛行機で移動、町のバザーで地元の人々に取り囲まれる、杉村春子さんと
今はイスラム寺院のモスクの青い屋根が見えるオアシスの町々も、仏教伝来の頃は仏教寺院や岩山に仏像が彫られ、敬虔なる仏教国でした。その後、東方からイスラム教と文化が伝来し、仏像の全ては破壊され、今はその残骸が残るだけで、仏教国だった面影は全くありません。
※ホータンからカシュガルまでタクラマカン砂漠を西へまっすぐに伸びる一本道
※カシュガルにあるイスラムの霊廟、乾燥しているから空の真っ青!
遠くの山肌に残る古のシルクロードと言われる白い線にしか見えない道を見て、日本の現代の発展も危険を冒して文化を伝え、商業をしてきた人々の歴史に基づいているのだと、胸が熱くなりました。
そして現代の日本と比べて、不便で決して環境が良いと思えなかったけれど、自分達の文化を守り、日々の営みを必死に生きているウイグルの人たちの眼差しに輝きを見た時、経済的な豊かさ文明の発展って何だろうとカルチャーショックを受けたことが思い出されます。
※パミール高原へ続く道
※私達をはるか遠い山から見た子供たちが何処からともなくやって来ました。もちろん見渡す限り人が住むような家は見えません。
26年経った今、ここに住むウイグルの人々は豊かになったのでしょうか?!今は漢民族の人たちの入植で、人口比率も変わったと聞きました。
後世、その変遷、様々な事件、反乱も無機質な歴史的事実として伝わるのでしょう。
その変遷の時を私達は生きているのですね。
<2015年6月4日>
atsuko_sugihara │Comments(2)│Monologue2015
この記事へのコメント
1. Posted by jiyuujin 2015年06月05日 11:24
若かったね。私が天安門広場に行ったのは14年前でした。昔の天安門は写真の様だったのですね。大学の大先輩が中央委員をしているので何事も無スムースでした。お付きの部下が付いていて物売りも全て排除してくれたり、食事も国賓が使うチョンギ台でしました。周首相の行きつけで食べた北京ダックは目の前で切ってくれ最高においしかったです。
写真のネガは
あるのでブログに載せ様かな。
写真のネガは
あるのでブログに載せ様かな。
2. Posted by 杉原あつ子 2015年06月05日 11:48
Jiyuujinnさん、
この写真の天安門広場は、学生達が自由を求めて座り込みをしていた時。この二日後にここに軍隊が入り、あの天安門事件が起きました。
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この写真の天安門広場は、学生達が自由を求めて座り込みをしていた時。この二日後にここに軍隊が入り、あの天安門事件が起きました。
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